「高級住宅街」「高級住宅地」という表現が不動産情報に載っていると、それは、不動産価格が<それなり以上>に高い地域になります。名古屋なら低くみても坪80、90万円から坪100万円以上あればそれにふさわしい地域です。「高級住宅街」と銘打つことは、法律に規定があるわけではないのですが、「高級」には歴史的背景があり、現代的な意味もあるのです。
高級住宅街には、2つのルーツがあります
不動産鑑定の評価基準を運用するときの国土交通省の「留意事項」に以下の表現があります。「敷地が広く、街区及び画地が整然とし、植生と眺望、景観等が優れ、建築の施工の質が高い建物が連たんし(=連なり)、良好な近隣環境を形成する等居住環境の極めて良好な従来から名声の高い地域」を言う、とあります。これが大まかに言って高級住宅街の定義です。
高級住宅街の誕生には、2つの起源があるといわれています。ひとつ目のパターンが江戸時代に大名屋敷、武家屋敷があった地域です。ふたつ目は、歴史はそれよりは新しいものの、近代になって都市圏内の別荘地として開発されたり、富裕層に向け、広い区画、広い道路、緑地、広場などを含んだ住環境を計画的に整えたりして開発された地域です。
名古屋の場合、尾張徳川家関連の地が高級住宅街に
名古屋の場合、江戸時代の武家屋敷をルーツに持つ典型が、白壁・徳川町(東区)です。参勤交代があったために東京では、大名屋敷跡が高級住宅街になりましたが、名古屋は、徳川御三家筆頭、尾張徳川家の地。その尾張徳川家を支えた武家屋敷が発達しました。「おかみ」に仕えた武士の武家屋敷が立ち並び、大正、昭和に起業家によって建てられた近代建築が戦禍もまぬがれて残り、隣り合う主税(ちから)町、撞木(しゅもく)町も含み、市から「白壁・主税・撞木町並み保存地区」に指定されています。
八事(昭和町)は江戸時代に建ち、尾張徳川家の祈願寺として発展した八事山興正寺を中心としたエリアで明治時代、すでに別荘地として栄えていました。同じように覚王山(千種区)も、日本でただ一つの超宗派のお寺日泰寺を中心にした別荘地として発展したエリアが、高級住宅街になりました。
こうした高級住宅街を抱える区は、住んでいる人の所得も高いので、税収も高くなり、自治体の施策も手厚くなり、治安も行き届きます。一般的には高級住宅街は<治安の良さ×住んでいる人の平均所得>で判断するのですが、名古屋の場合は、治安の悪さが指摘されるのは繁華街の一部だけで、治安の良さだけでは高級住宅街の条件を満たしません。
お嬢様学校が近いことも、名古屋では高級住宅街の条件に
名古屋は、海に面した南の土地が低地なので、住宅開発の歴史は、北へ、東へと広い丘陵地を伸びていきました。名古屋の場合、SSKと呼ばれるお嬢様学校・椙山女学園、愛知淑徳学園、金城学院(愛知淑徳は、現在は男女共学だが女子学生が多い)も時代の移り変わりに移転してきた歴史を持ちますが、そうした学校の立地に近い点も高級住宅街の条件の一つになっています。南山や星ヶ丘はそうしたエリアです。
八事にも近い名古屋市昭和区から瑞穂区の南山。地名では五軒屋町、南山町、汐見町、少し離れて高峯町などは、元は新田開発の頭(かしら)の持ち山が住宅街として開発されたものです。千種区の星ヶ丘から名東区の一社にかけての一帯は、尾張藩の御料林(元は御殿山と呼びました)だった地域を住宅街として計画開発されたエリアです。今後、高級住宅街として発展していく候補地を抱えています。
白壁・徳川町、八事、覚王山は、何代にもわたって受け継がれてきた住宅が多く、南山、星ヶ丘は、まだ代の重ね方は少ないですが、高齢社会だけに、いずれも相続物件として売りに出る可能性を秘めています。